真田信繁(幸村)の本当の身長を推測する

真田幸村は「真田幸村」ではない

戦国BASARAは言うに及ばず、真田幸村の名は戦国武将の中でもかなり有名な部類にはいります。
けれども、「真田幸村」という名は、幸村自身一度も名乗ったことがないようです。書状など、生前の史料にはまったく幸村という名は出てこないと言うことです。
実は、真田幸村の実名は「真田信繁」なんですね。

ただ、江戸時代以降「幸村」の名で呼ばれることが多くなり、江戸幕府や真田家の史料でも「幸村」の名が使われていたりします。
ここでも、「信繁」と言うことは十分承知しながら、「幸村」の名を使わせていただいています。

真田幸村の身長はどれくらい?

真田幸村(真田信繁)について、大坂の陣の様子を長沢九郎兵衛が口述筆記した『長沢聞書』によると、「真田左衛門佐(信繁)は四十四、五にも見え申し候。ひたひ口に二、三寸の疵跡あり小兵なる人にて候」とあります。
幸村(信繁)は当時48歳なので、44、5に見えたということはちょっと若く見えたかな。

そして、額には10cm近い傷があって、小柄だったということです。
当時の平均身長がおそらく150cm代後半で、そこで小柄とわざわざ書かれるくらいならば、推定で150cmかそれを切るくらいでしょうか
他に幸村の身長に関する史料がないので、148cmくらいではないかと勝手に想像。

兄の真田信之は約185cmと推測されていますので、兄弟で身長差かなりありますよ。

もう一つ興味深いのは、幸村が真田家の家臣に送った自筆の書状です。
「にわかにとしより、ことのほか病者になり申し候。歯なども抜け申し候。ひげなどもくろきはあまりこれなく候」
(にわかに年を取ってしまい、ことの他病気になりました。歯なども抜けてしまいました。髭なども黒いものはあまりありません。

つまり、大坂の陣で華々しい活躍をした時の真田幸村(真田信繁)は、身長148cmくらいの、歯が抜けて髪が白くなってしまった初老の小男だったわけですね。

大河ドラマ「真田丸」で、信繁(幸村)が大阪城に登場する際に白髪に変装していたのは、このあたりの史実を意識したのでしょうか。

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