フランス革命時処刑直前に家族にあてて書かれた手紙が泣かせる

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フランス革命では国王も王妃も断頭台に送られた

1789年に起きたフランス革命は、急速に過激さを増していきます。
1793年にはついに国王ルイ16世を処刑するに到り、同年、王妃マリー・アントワネットも断頭台に送られました。

革命政府は、国王夫妻だけでなく一般市民を含めたさまざまな人々をターゲットにしていきます。

洋服屋のピエールが恋人に宛てて書いた最後の手紙

1793年、粗悪な衣類を提供しようとしたとして告発された洋服屋のピナールは、有罪判決を受けました。
死刑執行の直前、彼は最後の手紙を恋人に宛てて書いています。

 さようなら、いとしいひと、きみがこの手紙を受け取るときには、ぼくはもうこの世にはいないだろう。ぼくはむしろ祖国防衛のために戦いつつ死にたかった。しかしそれはぼくのできることではなかった。ぼくは運命を受け入れ、曇りのない良心の平静さを墓にもっていきます。

 いとしいひと、いつもぼくに約束してくれていたことに忠実でいて。おなかの子どものために体をいたわって。女の子にせよ男の子にせよ、共和国の主義のうちに育ててください。いつも賢明で誠実でいて。きみがいつもそうであったように。

 さようなら、きみの面影はぼくの心のなかにあります。ぼくの面影もきみの心にあってほしい。きみの心のひとを決して忘れないで。しかし体を大切にしてください。そしてきみの息子あるいは娘に、父親は真の共和主義者として死んだと伝えてください。

 ぼくの両親を抱きしめてやって。ぼくはいつも二人を愛していた。

ピナール

出典: 150通の最後の手紙―フランス革命の断頭台から (朝日選書) オリヴィエ・ブラン/小宮正弘 訳

軍経理部のリゴーが妻に宛てて書いた最後の手紙

ピナールらと共犯関係にあったとされた軍経理部のリゴーもまた有罪判決を受けました。
彼が妻にあてて書いた最後の手紙も非常に美しいものです。

 手に持つペンは震えるけれども、胸は苦しく涙は紙を濡らすけれども、なおわたしは勇気の満るのを覚え、きみにお願いする、どうかわたしのことを忘れないでくれ。きみと結ばれる幸せを得て以来、きみには悪いことばかりしかしてこなかったようだ。すべてわたしは、きみに深く深く許しを請いたい。(中略)

 子どもたちに言ってください。私は心底から、わたしのすべての敵を、誰であろうと赦していると。子どもたちに、どんな立場になろうと、直接にも間接にも、わたしを死に導いたと思われるひとたちを捜すことは禁じると。これは神の定めなのだと。子どもたちはそれに従わなければならない。そしてこの悲しい時に、こう話しているのは父なのだと。子どもたちが父親を愛しているなら、父親の言うことに喜んで従ってくれるだろう。子どもたちがときどきわたしのことを思い出してくれたら。彼らをとても愛し、自分のことよりも子どもたちのことで人生を悔やんでいる父親のことを思い出してくれたら。(中略)

 さようなら、千たびもさようなら、永遠に。神にわたしをその聖なる国にうけいれてくださるように祈ってください。胸がいっぱいだ。これ以上もうきみに話すことができない。さようなら、そう、さようなら。

Ph.リゴー

出典: 150通の最後の手紙―フランス革命の断頭台から (朝日選書) オリヴィエ・ブラン/小宮正弘 訳

これらの手紙を読んで思うのは、220年前の彼らを特別に昔の人間と感じないことです。
歴史の本に書かれた存在ではなく、生身の人間をそこに感じます。

フランス革命の時代に生きていた人も、喜んだり悲しんだりすることは変わりないのですね。

そしてフランス革命は進展して

彼らの死と前後して、急速に革命を遂行する政府は、ついに農民たちに無償で土地を分配しました。
しかし、土地を手にした農民は、これ以上の革命の進展を望まず、革命にブレーキをかけ始めます。
やがて革命は大きな転換点を迎え、革命政府の中心だったロベスピエールらは粛清されました。

これで急激な革命運動は沈静化しますが、新政府はリーダーシップを持てず、社会不安が続きます。
その中で、下層市民や農民たちは革命で得た財産を守ってくれる強力なリーダーを求めるようになるわけです。

そして、その絶妙なタイミングで、一人の青年将校が注目を浴びていきます。
彼の名は、ナポレオン・ボナパルト

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