平城京が短命だったのは大仏創建による水銀汚染が原因だった

「青丹よし 奈良の都」の青丹よしとは

奈良時代の歌人小野老(おののおゆ)が歌った「青丹よし 奈良の都は 咲く花の 匂ふがごとく 今盛りなり」は、万葉集に収録され、知る人ぞ知る名歌ですが、この「青丹よし」(あおによし)の「あお」や「に」に問題の本質が隠されています。

「青(あを)」は寺院建築などにおいて連子窓等を彩る緑青を、「丹(に)」は柱梁を朱色に染める鉛丹や本朱を指す。緑青は酸化銅であり弱毒性がある(因みに一昔前までは猛毒とされてきたが、科学的根拠はない)。鉛丹は酸化鉛であり鉛中毒の原因となる。本朱は硫化水銀であり水銀の強い毒性は知られる通りである。出典: なぜ平城京は短命だったのか? 枕詞「あをによし」から読み解く – まぐまぐニュース!

奈良の大仏の金メッキには水銀が使われていた

奈良の東大寺になる盧遮那仏は、752年に完成した高さ15m、重さ250トンの青銅仏です。

創建当時、奈良の大仏は金メッキされ、金色に輝いていました。
使われた金の量は440kgと言われています。
金の現在価格は4500円/g強であり、換算すると約20億円の予算を注ぎ込んだことになります。

奈良時代の金メッキには水銀が使われています。
金は水銀に溶け、灰色の泥状の物質となります。
これを大仏の全身に塗り、その後400度くらいに熱すると、水銀だけが揮発し、大仏の表面には金だけが残ります。

用いられた水銀は2500kgと言われています。
問題は揮発した水銀であり、その多くは奈良盆地に留まり、冷えて地表に落ちてきたことでしょう。
奈良盆地は大河もなく、その多くは地下水にしみ込んだ可能性があります。
とすれば、その水で生活する人々は深刻な水銀公害に見舞われたことが予想されます。

聖武天皇が都を転々と遷し、桓武天皇が平安京に遷都した際に大寺院の移転を禁じたのは、仏像制作の際の重金属汚染が激しかったからだという論点は、なるほどと考えさせられるものがあります。
国家的な大事業として建造された平城京が、わずかな期間で遷都されることになった背景には、こういう事情があったわけですね。

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