知識習得について江戸の教育と現代の教育を比較して考えたこと

正月早々、知識習得について考えてしまいました。

何事かと言いますと、江戸時代の教育についてまず考えたことに始まります。

江戸時代の藩校や寺子屋の教育内容って、「読み・書き・そろばん」が中心であり、素読や書き写すことによって重要な知識を習得していったわけです。

言わば、声を出して書物を読んだり、ひたすら書物を書き写したりして知識を習得していくのが教育の中心だったのではないかと言うことですね。

そして、そのような教育の中で、幕末・明治の偉人たちは世界的な業績を残していったわけです。

これって、今の教育と比較すると、何か変じゃないですか?

現在の教育では、知識の習得は「暗記」として重要視されずに実際の教育現場では片隅に追いやられ、子どもたちの自主的な活動こそが至高であり、最終目標であるかのように思えます。

でも実際はどうなんでしょう。

授業の場において、能動的な活動が重要視されていながら、実際のテストや入試・就職試験においては、習得された知識がものを言うことが多くはないですか。

自分で戦略的な行動を起こそうと考えるときは、それなりの基礎知識が必要であり、様々な知識を自分の頭の中で再構成することによって、その結論を得ることが多いはずです。

さらには、知識そのものばかりではなく、知識の習得の仕方や知識の活用の仕方に関する知識も、自分の試行錯誤によるものよりも、モデリングによって習得する場合の方がずっと効率的な場合があります。

今教育界で流行語になっているアクティブ・ラーニングが悪いこととは思いませんが、そういったブルーナーの発見学習の流れを組む教育を重視するあまり、有効に知識を習得していく手段に関しては、教育理論はさほど進められず、学校教師の研修において知識習得そのものの有効性とその効率的な方法(たとえばガニエのモデリングとかオーズベルの有意味受容学習)等について研究されているのかな、と思った次第です。

子どもたちの能動的な行動を重視するあまり、「暗記」も含めて子どもたちが知識を習得することの重要性とその効率的な方法について考えず、教えない教育になってしまってませんか。

じっと座って人の話に耳を傾ける。
聞いて重要なことをメモしていく。
必要なことを覚えていく。
そういうことができずに、やたらと自己主張する子どもたちが増えているように感じるのです。

そう言った点で、むしろ「読み・書き・そろばん」を中心した江戸の教育の方が、幕末・明治の創意工夫に富んだ人々を輩出させていたのではないかというパラドックスについて、もっと考えていくべきなのではないかと思った次第です。

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